地下うさぎとsanのブログ

いわゆる一般的な生活風景と一般的でない生活風景を楽しく綴りたいと思います。解釈はご自由に!

昨日の友は明日も友

鑑定士をしていたころ。

 

 

この頃の若いやつにしては、なかなか素直ないいやつがいた。

 

志をもってこの世界に入る人は多いだろう。

 

ああ、この頃は

 「知識がなくても大丈夫!初心者歓迎・占い師」なんてのもあるから

 昔のように「志」もくそもない人も残念ながらいるかあ。

 

 

私の場合は、このみょうちくりんな体質から自然とその形になっていったんだけど

 

いわゆる「霊能者」てきな世界に、いざ入ってみてびっくり。

 

 

むしろ愛のない人が多く、力争いがあったり

 

「導く」というより

 

「支配」だね。全く。

 

 

学ばせてもらおうと、ご縁のあったところで頑張ってみたけど

私の場合は、かみさまたちが危ういところで

ストップをかけてくれたので助かったかな。

 

 

でも、これは私の人生においては

とても大切なステップだったと思う。

 

 

一所で学んだのではないので、すべてのその系列の人たちがそうとはいえないし

実際、向き合っただけで「つつまれるような」あたたかさをもった

それは素晴らしい人もいた。

 

人の姿を「みせられた」というべきかな。

 

ちなみに「やつ」と出会ったのは、お世辞にも

愛のあるところとは言い難いところだった。

 

珍しく清楚で、素直な人柄だったが

所属していたところの主旨がだんだん本来の軌道から外れていくにつれ

やつはとても苦しくなり始めたようだった。

 

ここにいるとだめになるよ

なるべく早く、ここをはなれなよ

 

わたしが去る前にやつに伝えたのは、この言葉だった。

 

鑑定料で生活をしようと思わないほうがいい。そこが自分にそぐわない場所だと気付いても、お金に縛られて切り替えが効かなくなるからだ。

 

本来の役割を離れず、一心に歩んでいる間に

気が付いたらそれで飯を食ってたくらいの

「この役割に対する誠実さと大切に思うこと」

 

 

これが施術者とそれに関わる人両方を守る道ではないかな。

 

 

 この世界は、つつみ隠せない「波動」の世界だ。

 

よほどしっかり、自分を保てないと動機も変わってくる。

そして恐ろしいのは、そのことに気づかないまま

自分を失っていくことだ。

 

残念ながら私の直接の師ではないが素晴らしい人がいた。

この大変さを熟知されていて

「俺がおかしくなったら、すぐに縁を切れ」と言われていたそうだ。

 

 

こんな「男前」な師匠に学んでみたかったもんだ。

 

 

自分では間違ったことはしていないつもりでも

こと、この見えない世界においては自分の奥底の動機を

常に見抜いていなければ、次の一歩は全く違う道に踏み込んでしまうのだ。

 

 

今は、そのことを厳しく指導するところは少ないようだ。

 

 

自分を見抜くことは苦痛も伴うし、自分自身への拒絶も生まれるだろう。

 でも、これは生きている間注意し続けるべきところだろう。

 

 

 ただ、技術だけをもらえばよいというものではない。

 

 

多額の授業料を払ってエネルギーワークやそのたぐいのものを使えるようになったところで、それを使う自分の扱いがわからなければ、悲しい結果になる。

 

ちなみに、そこに「お金」という別の目的が存在するなら

そのお金が施術にたいしての同等のエネルギーとして存在するものであれば

互いに生かしあうものになるだろう。

 

 

わたしはこれから先、良い人たちが育つことを願っている。

 

やつのような人が、本当はしっかり育って

よい導き手になってほしかった。

 

こころを壊さずに

元気にしてるかなあ。

 

心の淵に沈んでも

ちゃんと立ち直って幸せになってるかなあ

 

 

今日はふとそんなことを考えていた。

 

 

まあ、でも、若い人たちにはエネルギーがある。

私も昔は若かったんだけどさ(笑)

とりあえず、やつは きっと大丈夫だと

信じることにしている。

 

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9月の終わりの夕焼け